憲法改正の議論において、最も現実的かつ具体的な論点として挙げられるのが「自衛隊の明記」です。
なぜ、実力組織として既に存在し、国民の9割以上がその存在を認めている自衛隊を、わざわざ憲法に書く必要があるのか。
まずは現在の法的地位から紐解いていきます。
1. 現状の整理:自衛隊は「違憲」なのか?
この問題を理解するには、現在の憲法第9条の条文と、政府解釈の「ねじれ」を知る必要があります。
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
政府の解釈:「自衛隊は戦力ではない」
素直に条文(特に第2項)を読めば、「戦力を保持しない」と書かれている以上、戦車や戦闘機を持つ自衛隊は憲法違反に見えます。
しかし、日本政府は長年、以下の論理で「合憲」としてきました。
- 憲法は、独立国として固有の権利である「自衛権」までは否定していない。
- 自衛権を行使するための「必要最小限度の実力」は、憲法9条2項が禁止する「戦力」には当たらない。
- 自衛隊は「戦力」ではなく「実力組織」であるため、合憲である。
憲法学者の見解:「違憲である」
一方で、多くの憲法学者や法律家は、この政府解釈を「無理がある」と指摘しています。
世界有数の軍事力を持つ自衛隊を「戦力ではない」とするのは、言葉の定義として破綻しているという主張です。
教科書にも「自衛隊の合憲性には争いがある」と記述されており、法的には「存在自体がグレーゾーン」という不安定な立場に置かれ続けています。
2. 改正案の内容:どう書き加えるのか?
現在、主に議論されているのは(自由民主党などが提案している)「9条1項・2項をそのまま残し、新たに『9条の2』を加える」という案です。
第九条の二
前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
ポイントは、「戦力の不保持(2項)」を削除せずに、自衛隊を追記するという点です。
これは、現状の平和主義を維持しつつ、自衛隊の存在だけを追認しようとする「加憲(かけん)」のアプローチです。
3. 【メリット】明記することで何が得られるか
推進派が主張する主なメリットは、大きく分けて「正当性の確立」と「法的安定性」の2点です。
最大の目的はこれです。最高法規である憲法に明記されれば、どのような解釈をとろうとも「自衛隊=違憲」という主張は法的に成立しなくなります。
「命をかけて国を守っているのに、憲法違反と言われる」という矛盾が解消され、自衛官が誇りを持って任務に当たれる環境が整います。
また、教科書からも「違憲の疑いがある」という記述が消え、教育現場での扱いも変わります。
将来的に、裁判所が「自衛隊は違憲である」という判決を出すリスクをゼロにできます。
もし司法が自衛隊を違憲と判断した場合、国防システムが崩壊する恐れがありますが、明記されていればそのリスクは回避されます。
「軍隊ではない」という曖昧な説明ではなく、憲法上の位置付けを持つ組織として、国際法上の「軍隊」としての扱い(捕虜の取り扱いや交戦法規の適用など)が国内法的にも整理しやすくなります。
4. 【デメリット・懸念】何が危惧されているのか
反対派や慎重派が主張するリスクは、「権限の拡大」と「論理矛盾」です。
法学には「新しい法律は古い法律に優先する(後法優先の原則)」という考え方があります。
もし「戦力を保持しない(古い2項)」と「自衛隊を持つ(新しい項)」が併記された場合、新しい項が優先され、「2項が死文化(無効化)する」という懸念です。
これにより、「必要最小限度」というこれまでの歯止めが効かなくなり、フルスペックの軍隊へと変質する可能性があります。
現在は「違憲かもしれない組織」だからこそ、慎重に運用されています。
しかし、合憲のお墨付きを得ることで、防衛費の増額や、海外派遣の要件緩和、武器輸出の拡大などが「なし崩し的」に進むのではないか、という警戒感があります。
中国や韓国などは、日本の憲法改正を「軍国主義の復活」と捉え、外交的な批判や緊張を高める材料にする可能性があります。
これによる経済的・外交的損失もデメリットとして考慮されます。
5. 「変わる派」vs「変わらない派」の対立構造
この議論の難しいところは、推進派の中にも、反対派の中にも、意見のグラデーションがあることです。
| 立場 | 主張の要点 | 自衛隊明記への態度 |
|---|---|---|
| 現状維持派 (護憲派) |
9条は平和の象徴。少しでも変えれば戦争への道が開く。今の解釈運用で十分対応できている。 | 反対 |
| 解釈改憲の 固定化派 |
現状の自衛隊をそのまま書き込むだけ。任務も権限も一切変わらない。「確認」のための改正。 | 賛成 (LDP案など) |
| 抜本改革派 (改憲派) |
2項を残すのは欺瞞だ。2項を削除して「国防軍」として明記し、普通の国として軍隊を持つべき。 | 条件付き賛成/反対 (中途半端な明記は逆効果とする意見も) |
政府(推進派)は国民の警戒を解くために「明記しても、自衛隊の権限や任務は今と一切変わりません」と説明します。
しかし、反対派は「何も変わらないなら、莫大なコストと労力をかけて憲法改正をする意味がないではないか」と反論します。
この「変わらないと言うけれど、本当は変える気なのではないか?」「変わらないならやる必要がないのでは?」という堂々巡りが、議論を膠着させています。
6. 結論:私たち国民が判断すべきこと
自衛隊の明記は、単なる文章の修正ではありません。
それは、戦後日本が曖昧にしてきた「力(軍事力)」との付き合い方を、国民自身がどう定義するかという問いです。
- 自衛隊を「憲法上の正式な組織」として認め、その代わり厳格なシビリアン・コントロール(文民統制)の下に置くのか。
- それとも、権限拡大のリスクを恐れ、現在の「解釈運用」という柔軟だが不安定な状態を維持するのか。
2026年、安全保障環境はかつてなく厳しさを増しています。
感情的な「賛成・反対」ではなく、条文が変わることで生じる法的な効果と、現実の抑止力への影響。
この両面を見据えた冷静な判断が、主権者である私たちに求められています。