防衛大学校・箱根駅伝への挑戦
神奈川県横須賀市小原台。将来の幹部自衛官を育成する「防衛大学校」は、強靭な肉体と精神力を養う場でもあります。
実は過去、この防衛大学校の学生たちが、日本の正月の風物詩である「箱根駅伝」の舞台を駆け抜けた歴史が存在します。チームとしての単独出場、そして選ばれし精鋭による個人出場。その全ての記録をここに記します。
【第1章】 チーム単独出場の記録(1960年代)
防衛大学校が「大学単独チーム」として箱根駅伝に出場したのは、歴史上で2回のみです。当時は参加校数も現在より少なかったとはいえ、並み居る強豪校と互角に渡り合い、シード権争い(当時は10位以内が目安)に食い込む健闘を見せました。
| 大会名(年) | 総合順位 | 総合タイム | 備考 |
|---|---|---|---|
| 第38回 (1962年) |
11位 (全15校中) |
12時間47分34秒 | 記念すべき初出場。 往路12位・復路9位。 |
| 第39回 (1963年) |
10位 (全15校中) |
12時間35分10秒 | 【過去最高順位】 2年連続出場を果たす。 これ以降、単独出場はない。 |
【第2章】 学連選抜での個人出場
単独出場が途絶えてから約30年後、予選会で優秀な成績を収めた個人選手を集めて構成する「関東学連選抜(現・関東学生連合)」チームに、防大生が選出されるようになります。
厳しい訓練と学業の合間を縫って箱根路を走ったのは、長い歴史の中でわずかな人数です。
「文武両道を体現した最高記録保持者」
コロナ禍の箱根路を駆け抜けました。理工学専攻で学びながら、ハーフマラソン63分台の走力を見せつけました。本戦では復路のエース区間9区を任され、区間15位相当と強豪校の選手と互角に渡り合い、防大生の底力を全国に示しました。
【第3章】 なぜ彼らの記録は「凄い」のか
防衛大学校の学生は「特別職国家公務員」であり、給与が支給される代わりに、極めて厳しい規律の中で生活しています。
- 起床は06:00、消灯は22:30:生活リズムは完全に管理されています。
- 学業と訓練の両立:大学レベルの授業に加え、射撃訓練、遠泳、野営訓練などが課されます。疲労が抜けない中での練習が常態です。
- スポーツ推薦なし:全員が学力試験等を経て入校しており、陸上のためだけに入学した学生はいません。
古林選手をはじめとする歴代のランナーたちは、この環境下で時間を捻出し、創意工夫でトレーニングを積んで箱根への切符を掴み取りました。その精神力こそが、彼らの最大の武器だったと言えるでしょう。
まとめ
防衛大学校の箱根駅伝への挑戦。それは、単なるスポーツの記録以上に、「国防を志す若者たちの不屈の魂」の記録でもあります。
チーム単独出場2回、個人出場3名。決して数は多くありませんが、その一歩一歩は確かに日本の陸上史、そして自衛隊史に刻まれています。